27日に生駒でドクさんの講演会

昨夜、就寝前に何気にBS放送にチャンネルを合わせたら、
ベトナムのドクさんのことが放映されていた。

夜遅いので、いつもだったらテレビを消して
寝てしまうところだったが、27日に生駒市にドクさんが
来られるので予備知識を仕入れるつもりで
眠い目をこすりながら見ていた。


ドクさんは、ベトナム戦争で米軍の撒いた枯葉剤の影響と
みられるが、体の一部がくっついた双生児で生れた。
分離手術を受けた後、結婚して双子の父となったが
もう一方の兄のべトさんは死亡している。


小さい頃来日して「べトちゃんドクちゃん」として日本人
の間ではかなり知られていると思う。


取材に入った日本のマスコミに対してべトさんは
「日本人は僕の本当のことを知らないと思うので、今回
ありのままの僕を取材してほしい」と冒頭述べていた。


私は有名なドクさんのことであるのできっと政府から手厚い
保護を受け生涯の保証がされていると思っていた。
実の母や姉とも家族の交流があるものと思っていた。


でも取材された実情は違っていた。


べトさん兄弟は生れるとすぐ病院に預けられた、親元は
貧しくとても障害のある二人の面倒を見れる状態では
なかった。
父親は二人が生れてまもなく離婚して家を出て行った。


病院に預けられた二人に親たちが会いにくることは一度も
なかったという。
分離手術をするためには親の了解が必要なので、その時
病院が親を連れてきた。


分離手術は成功したが元気な方のドクさんに優先的に皮膚な
どが移植された。べトさんのほうは手術時すでに病気で
衰弱していた状態であったようだ。


ドクさんは大人になってパソコンを使って病院管理の仕事に
従事している。
そしてじつの母や姉も同じ病院で清掃業務をしていた。
だけどこの親子は全く話をしない。どこかよそよそしげで
お互い遠巻きに見ているだけだ。


ドクさんは、長い間離れて暮らしていたから実の親子でも
愛情が湧かないのは仕方ないでしょうと、寂しげに言う。


母親は母親で何故息子のドクさんのほうから声をかけて
こないのだと、涙を流す。
母と姉はこの後病院をやめて、飲食店の皿洗いに転業。
それまでの住居は家賃が払えなくなって、飲食店のベランダ
を住居にしていた。


ドクさんのとってはべトさんが一番の家族であり
友人であった。いまでも淋しくなるとべトさんのお墓に語り
かける。


離婚して家を出た実のお父さんは再婚して子どもが二人。
こちらは農業を営んで堅実な暮らしぶり。
ドクさんが父親になったことを聞いて涙を流して喜んでいた。


家族愛に恵まれなかったドクさんの淋しさが
ひしひしと伝わってきた。


ドクさんが良き伴侶を得て双子を授かったことは本当に
良かった。男女の双子で障害が遺伝しなかった。
2世3世まで障害が遺伝することが多い中で、
もしやと思ったが大丈夫だった。


ドクさんは実に勤勉に働く。不自由な体を押して、平日は
病院勤務。土日は観光受付業務。
何故こんなに働くかというと、体に障害があるので働ける時
にしっかり働いて双子を一人前にするまで頑張るのだという。


片足で背骨も曲がっているのに、こんなに頑張って大丈夫
なんだろうか・・・・
ドクさんの観光受付業は日本人には好評で、ドクさんは人気
があるようだが。


ドクさんの勤める病院には重い障害(体の奇形)をもった
子ども達が暮らしていて、その様子も放映されたが
ちょっと症状が重くて、見ているのがつらいほどだった。


これはやはり大量に散布された枯葉剤の影響としか
考えられないのではないか。悲しく残酷な現状である。


わが子を抱いている時のドクさんのうれしそうな表情が
なんとも印象的だった。


4月27日、午後一時半から生駒市中央公民館で
      ドクさんの講演会。入場無料。

是非ともおいでください。