立て看板

数日前に生駒市内の山下まこと看板12枚を全て撤去しました、もう生駒市長でもないし新しい看板に変えるからです。
軽トラを所有する友人と二人で作業しました、好意で立ててもらっている看板なので挨拶すべきところはして手際よく回収してまわりました。中には看板撤去を惜しまれる方もいて、ありがたいことです。

この看板にも9年間お世話になりました、しっかりした作りであと5〜6年は充分もちそうな看板ですが、これで引退です。全て山下選挙事務所に持ち帰りました。

知事の場合は個人と団体申請で40個の看板設置ができます。
新しい看板も出来上がって事務所の倉庫で出番を待っているのですが、なかなか設置先を探すのが難しいです。
今度の看板は山下氏の写真が印刷してあって見栄えはいいのですが、簡易な作りなのであまり長期間はもたないと思います。4月12日の投開票日まではしっかり役目をはたしてくれたら充分です。

看板を撤去するのはそんなに大変ではありませんが、設置するのはけっこう時間がかかります。看板が軽いので私でも持ち運びは楽ですが、しっかり
ワイヤで固定しないと飛んでいってしまうので気を使います。きつくワイヤで締めたつもりなのにゆるゆるになったりして悪戦苦闘、見かねた家人が出てきてくださって補強してくださった時はありがたかったです。

今日はことのほか風が強かったので、私が一人で設置した看板には不具合が生じたのではないのかと気がかりです。明日あたり点検に行きます、 
自分の不器用さが思い知らされました。

ここ数日間

ここ数日間はめまぐるしいくらい色々ありました。
2月26日は山下市長の退庁式がありました、早くから多くの市民が集まり
山下市長との別れを惜しみました。私は9年前山下市長が当時全国最年少で当選し、晴れ晴れと市役所に初登庁した場面を思い出しました。その同じ場所で、このような形でお見送りするとは・・・名残惜しくて涙が出ました。
もう市役所でお目にかかることがないと思うととても淋しい気持ちです。

9年間ありがとうございました、次々と難問を乗り切って解決する山下市政に議員としてかかわることができて痛快でもありハラハラドキドキでもありました。この出会いに感謝します。


2月27日は「脳の若返り教室」、サポーターとしてこの日が最後の授業でした。半年の期間でしたが担当した方々と楽しく過ごして懇意になりました。
中には私の母のような御婦人もおられて、懐かしい思いがしました。
この教室は希望者が多くボランティア希望者も多いので、更に拡充していくそうです。生駒市民対象なので、いずれ奈良市に転居する私は継続することもなくこれで最後となりました。良い経験をさせてもらいました。


2月28日は橿原市の万葉ホールで山下集会がありました。生駒市からも遠く
この辺りになると参加を頼める知人もいないので、当日の参加者はさぞかし少ないだろうと覚悟していたのですが、予想以上の参加者でした。
生駒市民は少数であとは初めての顔ぶれ。動員も呼びかけもせず自発的に200名以上の人が集まったのはすごいことではないでしょうか。
推薦ハガキを沢山持ち帰って頂きました。嬉しかったです。


3月1日山下事務所開き。雨降りで駅から遠いところであるにも拘らず、沢山の参加者で準備していた椅子が足りなくなり立ち見も多数でした。70名以上はいたと思います。このときも推薦ハガキを沢山持ち帰って頂きました。

当初はどうなることかと思いましたが、だんだん県民の反応が高まってきたのではないのかなという気がします、すこしずつ希望の芽がふくらんできました、春には美しく花開いてほしいものです。

明日からまた早朝街宣が始まります、4時起きして頑張ります。

超早朝街宣

今週から榛原、桜井駅と遠方の街宣が始まりました。
いつもは6時半から開始するのですが、電車の本数がが少なく市長が6時ごろ
到着されるので6時からの開始となります。遠いので生駒市は5時前には出発しなければなりません。辺りはまだ真っ暗です。
駅についてもまだ夜で通行する市民は5分に1人くらい、6時半を過ぎるとぼつぼつ増えてきます。

両駅ともけっこう大きいのですが、ここら辺りになるとボランティアも少なめになってきます。
チラシを受け取る方も案外多いので、私は両駅で200枚以上手渡すことが出来ました。予想以上です。

4時起きに備えて早寝しているのですが、それでも日中は眠気がおそいます。3月議会が始まったら早朝街宣は無理かもしれません。

選挙事務所は今改装中、知事選にふさわしい広々としたスペースで幹線道路に面しており車では便利ですが、徒歩ですと最寄の駅が西の京でそこから15分ですので少々立ち寄りにくいのかなと思われます。

早朝街宣

今日は大和高田市の駅前で早朝街宣。
生駒から遠いので朝5時半には出発、まだ夜中。

奈良県といえども今まで行ったことのない場所に行く時は、どんな所かとけっこうワクワク感があります。

街宣ボランティアの人数は今のところ不思議なくらい状況にマッチした人数が集まります。改札口が一ヶ所の小さな駅には2〜3人、何箇所もあるような大きな駅には10名〜20名。別に参加者を調整しているわけでもないのに、
うまく人が集まります。

たまにボランティアが多すぎるときは、近辺のポスティング。街宣も今は順調です、これからもっと南下していくと南部地域のボランティアが参加してきて顔ぶれや人数にも変化が出てきます。

県民の反応はいいのではないでしょうか、知事選挙街宣は初めての試みなので判断がつきかねるところですが・・・・

明日は高田市でまた5時半出発です、これからしばらくは遠方続き。
山下市長の強靭な体力と精神力に、私達ボランティアも大いに励まされます。

市会議員を引退する理由

「もう、市会議員に立候補しないの?」と問われることが時々あります。

以前より問われれば「立候補しない」と明言してきました。

思い返せば一昨年母親が倒れてから毎日病院の見舞いや、実家に一人残る父の世話で明け暮れてきました。そして昨年の6月から母親を自宅に引き取って在宅介護をし、そして実家へ父の世話にも通うという超ハードなスケジュールを想定していましたので、議員も昨年の9月には任期途中ではありますが介護離職するつもりでした。

しかし、残念なことに母が在宅介護目前に亡くなってしまったので、実家の父の世話だけになり、議員職は継続できる状況になりました。


とはいうものの、母が亡くなってから父親の精神状態が淋しさから不安定になり、体は丈夫なものの「早く、こちらに帰って来てくれ。」と毎日のように言われもう一人暮らしも限界にきたと感じています。


実家は生駒には近いとは言うものの奈良市学園前なので、生駒市民から奈良市民になります。もう、生駒市議会議員の要件は満たせません。

あと5〜6ヵ月後には生駒市を去ることになりとても淋しいですが、ここは一旦学園前に帰りいずれ生駒市に戻る機会を待とうと思います。

生駒市には沢山の知人友人がいます、また政治的に志を同じくする仲間も
います、そういった人に自分の思いを託すべく4月の地方選挙では頑張る仲間の応援のために奔走します。

知事選について

早いもので今年も一ヶ月以上過ぎてしまいました。
正月気分も覚めやらぬ中、山下市長の知事選出馬表明があり、その選挙協力に早朝の街宣活動等に懸命の毎日です。

平日は朝の6時半から主要駅で市長の街宣が始まります、生駒市から段々と遠ざかるに従って早く家を出るので4時〜5時に起床して街宣に向かうという毎日で、それまでなかなか実行できなかった早寝早起きの習慣が身について良かったです。

現場はまだ夜明け前なので暗いのですが、ぼつぼつ出勤される方が増えてきて街宣スタッフも7時ごろから増えだし、市長の演説もあいまって街宣活動も盛り上がっていきます。

天候や駅の規模によってチラシの受け取り総数は変わりますが、雨を除いては、受け取り率は良い方だと感じています。知事選について関心は増しているのではないでしょうか。

山下さんの知名度生駒市奈良市以外についてはまだ低いと思います、
私達が奈良県下中部、南部の首長の名前を知らないのと同様ですので仕方がないのですが、今後如何にチラシや街宣で知名度を上げていくかが大事です。
チラシの新聞折込も一度しましたが気づかない人も多く、例え極一部の地域しかできないとしてもポスティングが必要です。でもこのボランティアが少ない(特に生駒市外)

知事選となると対象が奈良県全域なので、その広さにめまいがしそう、
手ごたえがあるのかないのか焼け石に水なのか、私には判断がつきかねるところですが兎に角自分が出来ることを懸命にやるだけです。

かつて自分の選挙でもここまで街宣活動をしたことはありませんでした。
4月には生駒市議選もあり本来ならば自分のことでかかりきりで、知事選の手伝いもまま成りませんでしたが、私はもう議員を引退するのでこの点については心置きなく協力できます。

このブログやホームページもあと3ヶ月くらいで終了いたします、それまでの間しばらくお付き合い下さい。


衆議院選挙が終わって

選挙が終わって一週間経った、短期決戦で嵐のような2週間だった。
前回と違って今回は野党候補がほぼ中村氏に一本化されたので、もっと票が伸びるかと思ったのだが、低い投票率共産党の躍進で思ったほども得票が出来なかった。
選挙期間中は前回以上の有権者からの励ましと期待の声を多く頂いた、選挙区外からの支援ボランティアも多く駆けつけてくださったが、結果は厳しいものだった。

「生活の党」の知名度が無いとつくづく感じた、中村氏が「生活の党」であるとどれだけの人が
分っていたのだろうかとも思う。生活の党は衆参あわせて国会議員が4名になり最低5名の国会議員が必要である政党要件を満たせなくなってしまった、政党交付金が無くなるという事だ。


不屈の精神の持ち主である中村氏は又次回を目指して、休むまもなく政治活動を始めているが
「生活の党」自体が先行き危ぶまれる、地方議員もひょっとしたら私1人ではなかろうか。
なんとか中村てつじの才覚が生かせる環境が整わないものか、彼に期待する文化人は多く評価は高い、このままでは勿体無い。


低い投票率で自民圧勝、でも日本国民は本当にこれでいいんだろうか・・
さっそく原発再稼動、老朽化原発建て替えと原発継続を明確にしだした。