衆議院選挙

年前の衆議院選挙の記憶もまだ覚めやらぬ中、また選挙。
前回、私は選挙対策本部長なる物々しい役を賜ってマスコミ対応、ウグイス、チラシ撒き、あいさつ回りと色々な役回りをした。
立候補者の中村氏は民主党を離脱しての出馬だったので、組織の支援は得られずボランティア頼みの選挙戦、何人かの秘書はいたけど人出が足りなくて
大変だった。


今回の選挙はその秘書すらいない、全てボランティア、前回以上に人手が足りない。おまけに私ときたら12月議会とも重なっているし、老親の世話にほとんど毎日実家に通っている。
せっかくの千載一遇のチャンスなのに思うように動けない、にも拘らず今度も選対本部長なる大そうな役柄、一体どこまで人材不足なんだろう。


とはいえ予想以上に早く衆院選が巡ってきたことは良かったとも思える、前回は候補者が乱立したが今回は自民、共産、生活の3者。共産支持者以外のアンチ自民票を取り込めたら善戦できるかもしれない。
大儀なき選挙と言う人もいるけど、そうではない。この2年間の自民党一強政権下で強引と言えるほどの手法で色々なことが推し進められてきた、集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法原発再稼動推進・・・
円安により輸入物価が値上がりすることによって個人消費は冷え込み、賃金上昇も物価高に追いついていない。庶民の生活は苦しいままで非正規雇用は2年前より160万人増えている。


こういった諸々の問題について国民の審判を仰ぐ大切な選挙だ。

中村氏は2年前の選挙落選後も絶えることなく政治活動を継続してきた。
毎月のニュース発行、月2回の「中村てつじと話す会」の開催、講演活動。
落選した仲間が挫折して去っていく中、黙々と政治活動を続けてきた彼の信念と情熱が是非とも今度の選挙で花開いて欲しい。
派手な選挙活動は出来ないと思うが、彼の語る言葉に耳を傾けその思いの強さ深さが伝わればと思う。

脳の若返り教室

何時の間にやら11月、今年も残すところ一ヶ月半。
この2、3日で急に寒くなって体調を崩し風邪をひいてしまった。
今日は「脳の若返り教室」、高齢の参加者に風邪がうつっては大変なので、
随分迷ったが咳は昨日よりも大体治まっていたので、サポーター参加した。
3回目の教室であるが、同じ参加者を担当するので段々なじみが深くなっていく。
読み書き計算よりもコミュニケーションの時間のほうが長いように感じられる、読み書き計算は事務的作業なので難しくは無いが、問題はコミュニケーションタイム。
参加者がいかに楽しい気分で喋っていただけるか、こちらも会話力が必要とされる、なんとか話が盛り上がるようにあちこちから話題を引っ張り出す。
中には口の重い方もおられる、沈黙が怖いのでそういう時は自分自身のネタで話をつなげる。
午前中3時間の教室であるが、ギッチリ詰まっていて濃厚。けっこうパワーを出し切った感がある。
終わった後は同じサポーターの友人とランチ、これも楽しみの一つ。
 
この教室に来られるような方は何かにつけて積極的で、他の色々な場にも参加されている、脳の若返りにはお出かけと会話が一番。

実家の父にもテキストを渡して勧めたが「わしには、必要ない!」と断られた、でも諦めない、いずれ折を見てまた勧める。実家の近くにある介護施設でもこの脳の若返りテキストを取り入れて効果が出ているそうだ。

「竹あかり」と「脳の若返り教室」

台風が去って秋が一段と深まった、肌寒い。
台風のため環境シンポジウムは延期になったが、「竹明かりの夕べ」は予定通りの開催ができた。「竹あかり」の初日はグリーンボランティア「宝の里」の一員として3時から8時半までロウソク並べや点火作業をした。5時から点灯式が始まり尺八が演奏された、竹あかりの雰囲気とあいまって幽玄で素晴らしいものだった。参加者がそれほど多くなかったのが少々残念。

暗闇の中、ロウソクに照らされて浮かび上がる竹の芸術作品を心ゆくまで楽しませてもらった。

同日の午前中は「脳の若返り教室」の初日でサポーターとして初参加。
事前に説明や講習は受けていたが、初めてのことはやはり緊張する。
勉強ではなく脳の体操みたいなもので、簡単な読み書き、計算を早く行うことで脳が活性化する。
また、参加者とのコミュニケーションの時間もありこういったこと全てが認知症予防、脳の若返りにつながる。

その日は4名の方を担当させてもらった、元経理担当の方はあまりに計算が速く驚くほど。私の方が計算遅い。
参加動機は認知症になって家族に迷惑をかけたくないからと言う方がほとんどだった。でも皆さんしっかりされていて、そんな心配からは程遠いように思えるのだけれども・・・
でも、その心がけは立派だと思う。私の親と同じような年代の方だと特に親しみを感じる、こうやって教室に来られること自体が見上げたことだ。

この教室は参加希望者が多く、またサポーター希望者も多いと担当職員が話されていた。良い傾向だ。

実家の頑固な父にもこの「脳の若返り」訓練をためしてみたい。

阪口県議の県政報告会

10月5日、阪口保県議会議員の第4回県政報告会が北コミュニティセンターで開催された。当日は大型台風の影響で悪天候だったが足元の悪い中にもかかわらず、140名余りの市民が集まり会場は満杯だった。


最初にギターとチェロの演奏があり「里の秋」「G線上のアリア」などなじみの曲が披露され心地よい一時であった。


次は山下真市長が主に北部地域における生駒市の施策を説明された、説明が終わって9月議会については議員定数の削減案が否決されたことをサラリと伝えられた。

市長の次は生駒市行政改革推進委員会副委員長も勤められた松山治幸氏の講演。主に県会議員の政務活動費についての解説だった。
生駒市議の年間政務活動費は36万円、奈良県議は360万円。
県議の政務活動費について、人件費が多いが受取人が分らないとか事務所家賃が支出されていても事務所の所在地が明記されていない、購入図書の書名が不明のケースがあるなど色々問題点を指摘された。そして市議会で議員定数削減が否決されたことをとても残念がっておられた。


最後は阪口県議の県政報告でこの4年間の選挙公約の成果とその進捗状況について報告があった。資料ではそれぞれの公約についての取組みを○△×の3段階で自己評価され、分りやすくなっている。
まだ1年生議員で会派にも属さず孤軍奮闘して多くの実績と努力を積み上げてこられたことに驚きと尊敬を感じる。とにかくパワフルでフットワークが軽くお話も上手で、これからも末永く県議として活躍して欲しい。


私もこんな風になれたらと思うけど、あまりにも差がありすぎて・・・
ただただ恐れ入ります。

もう、10月

あわただしかった9月は過ぎ去り10月に入った。
あの暑さから解放されて心地よく涼やかな季節、秋。
できるだけこの快適な気候が長く続いて欲しいけれど、案外冬は早くやってきて厳冬に震える時は長く続くかもしれないから、今をしっかり味わおう。


9月は定例の議会と決算委員会があって審議事項が多かった、中でも議員提出議案の議員定数削減については賛成議員が5名で予想以上の少数に留まった。
管轄する委員会では定数削減反対意見の嵐で審議には多くの時間が費やされた。私は4年前と同様に定数削減に賛成の意思表示をしたが以前ほどの覇気が欠けている、来年の地方選に必ずしも出れるとも限らない立場で身を切る覚悟が必要な定数削減を声高に主張することに気後れを感じるのだ。

しかし定数削減は以前よりの主張、そんなこんなで大した意見を述べるでもなく従来通りの賛成の意思表示をしたという次第。
すっきりしないけど、当時の自分の精神状態には沿っていた。

9月下旬には母の百ヶ日法要と納骨を行った、これで今年一連の法要は終了した。あれほどしつこく涙にくれていたのに今では時々しか泣かなくなった、確かに時が癒してくれる。毎日思い出さない日はないけど、湧いてくる思いは懐かしさと感謝。

母が亡くなってからしばらく中断していたこともボツボツ再開しだした、
棚田クラブでの農作業、関大生駒支部活動、中村てつじ集会、グリーンボランティア「宝の里」そして新たに脳の若返り教室のサポーターも始めた。
こんなに良い気候だから元気を出していろいろなことやってみよう。

エンディングノート

朝夕はすっかり秋らしくなって、昼間も曇り空の時は涼しく随分体が楽になった。これからはバイクに乗るのもいい季節、暑さから解放されて楽しんで乗れる。


さて、ここのところ思うところあってエンディングノートに取組んでいる。母を失ってから終活を真剣に考えるようになった。
母は倒れて体と言葉が不自由になり、判断力も低下して意思疎通が本当に困難になった。最大限、母の気持ちをくみ取るよう努力したが、本当にあれで良かったんだろうかと今でも思う。
また預金通帳や振込、常用していた薬、友人知人関係など分らなくてうろたえた。
またどんな介護や葬儀を望んでいたのかとも思う。

ある日突然死んだり、体が不自由になって意思疎通が出来なくなったら、家族も困るし本人も不本意な取り扱いがされるかもしれない。そう思うとエンディングノートを早く仕上げなければと思う。

エンディングノートは本屋でも売っているし専用のコーナーも
あったりして結構静かなブームみたいだ。

書き出すと、内容が多岐に渡っているし正確さと詳細な記述が必要な箇所もあって時間がかかる。
ノートは一度書いたら終りではなく状況に応じて次々書き換えていく、さしあたって向こう一年間のことを想定して書いてみる。


先ず資産について、これはほとんど無いのですぐに記入できる。
保険もひとつだけ、あと年金やら経歴、ペット(鳥)の飼育方法
宝物(バイク)、家族や親族一覧等。

告知・延命処置については余命期間にかかわらず告知希望。
延命処置はしない。
葬儀については事業者も葬儀の形態も詳細に記入。
お墓は先祖の墓が既にある。
お棺に入れたいものや、服装、遺影についても記入。
介護について介護の場所、食べたいもの、したい服装、趣味や
楽しみについて記入。

入院や葬儀の際、呼びたい人の一覧表はまだ人選に迷っている。
あまり多いと遺族が大変だし、少なく限定すると後日弔問にこられる方が多くなるので難しい。

高齢になれば友人知人も段々少なくなってくるが、まだこの年代では人脈が多いので葬儀もそんなに簡素には出来ないだろう、と思うと出来れば自分の葬儀は高齢になってからにしたいもの。

先ず、父を見送って夫を見送ってその次に私という順番になればいいのだけれども。

エンディングノートで一番面白かったのは家系図
父の方は曽祖父母までさかのぼることが出来た。
この家系図に取組むまで父が7人兄弟だとは知らなかった、母も戸籍謄本では4女となっているけど、そのうち2名は誰なのか分らない。
いとこの兄さん姉さんは一杯いるけど、いったいどこのおじさん、おばさんの子どもなのか分らずにいたが家系図でおおよその繋がりが分った。こういうことは親の存命中に聞いておかなければ分らなくなってしまう。

今まで遠い存在だった親戚がぐっと身近に感じられるようになった。


自分のエンディングノートが仕上がったら次は父に勧めようと思う。元気なうちでないと弱ってからでは聞きにくい、さてノート作成に協力するかどうか・・・

親のこと

気がつけば八月もあと一週間で終り、朝夕はわずかながら秋の気配が漂いだした。

日本各地で大雨のため大変なことになっている、広島の大惨事には目を覆うばかり。自然の脅威で悲劇が繰り返される、お亡くなりになられた方の冥福を祈る。

母親が亡くなってから2ヶ月が過ぎた、初盆も終り後は9月末に百ヶ日の法要と納骨をすれば一通り終わる。

母が昨年夏に倒れてから臨終を迎えるまでの一年間の母の絶望と悲しさ、体の痛みを思うと可哀相でならず長く落ち込んでいたが、いつまでもこんな気持ちでは自分も不調になってしまうので、この頃は発想を転換した。
母は今頃は先に他界している母の両親や兄弟、我が子(私の妹)と再会してあの世で楽しく暮らしているのだ、と自分に言い聞かせている。そして楽しそうな様子をイメージしてみる。

これで随分気持ちが楽になって、自分が救われたような気がする。

実家に1人残る父は体は丈夫だが、物忘れが段々ひどくなってきた、気丈な父であるが妻に先立たれると精神面でダメージが大きいようだ。私は頻繁に帰っているが、一人暮らしも長くはもたないだろう。長女として親を最期まで支える責任の重さは分っているが、父とは昔から気が合わなかったので気後れもある。

私には優しさと強さがもっと必要、まだまだ不十分。