「感動したのなんのって」

昨日、「はぐるまの家」の子どもたちによる
和太鼓チャリティー公演が、北コミであった。


和太鼓の圧倒的な迫力、
汗飛び散る子どもらの懸命な姿に
すっかり魅了され、引き込まれた。


演奏が終了するや、観客立ち上がっての割れんような拍手喝采
私も涙を流しながら立ち上がり、手を高く上げて拍手した。


いままで感動した公演はたくさんあったけど、
今回のように立ち上がって拍手したことは一度もない


和太鼓の響きは耳ではなく、
体の芯、魂の奥底まで響き揺さぶられるようで
心が熱くふるえた。


以前「ダルクの集い」でも和太鼓に感動した、
なぜか和太鼓の響きや振動には、
心が動かされる、奏者の思いがぐいぐい伝わってくるから。


「はぐるまの家」には、事情があって
家庭では暮らせない子どもたちが預けられている。


親の情愛薄く、淋しい幼少期を過ごし
やがて屈折した思いが暴走して非行にはしり、
親にも突き放されて、「はぐるまの家」に
預けられた子どもたちだ。


どの子も切ないほど親の愛を求めて苦しんでいるのに、
親はほとんど頓着がない。なんという冷淡、残酷さ。
元々親になれるような人たちではなかったのだ。


愛に満たされることの無かった人は誤作動を起こす、
薄幸の生い立ちゆえに、罪を重ねてしまう。
ただ、切なく哀しいではないか。


「はぐるまの家」の先生達は子どもらの心の傷に寄り添いながら
なんとかつかの間の親代わりを努めようと心をくだく。


さいころから、こんな過酷な宿命を背負って生きていく人たちは
勇気ある魂の冒険者か挑戦者だ。


どうか押しつぶされずに、勇壮な和太鼓の響きのように力強く
親には愛されなくても、かけがえの無い自分を大切にして生きてほしい。


そして彼らを実の親以上の情愛をもってサポートする
「はぐるまの家」の先生に深い尊敬と感謝。