戦没者慰霊祭

ここのところブログがなおざりになっている。
例のごとく一般質問の準備で頭が煮詰まってくるからだ、
この3日間で質問の概要書を提出しなくてはならない、
あれこれ資料を調べたり、関係者から意見を聞いたり
なかなか書面が出来上がらない。


お気に入りの「伊勢ー白山道」のブログは毎日更新されている。
私も見習って、つまらん内容でも出来るだけ小まめに書く、
と決意したけど、なかなか続かない。


「伊勢ー白山道」はすごいね、もっとも毎回一万5千件程も
アクセスがあれば、書かずにはおれないかもしれないけど、
毎日更新されているので、
毎日クリックする期待を裏切らない。
当人は現役サラリーマンなのに、大したものだと思う。


今日はセイセイビルで第二次世界大戦
亡くなった方の慰霊祭があった。
犠牲者の奥さんやお子さんが参列されていたが、
だんだん高齢化が進んで、
参列者の数も減ってきたような気がする。


先ごろの戦争で働き盛りの夫やお父さんを亡くして、
皆さんどれだけ苦難の道を歩まれた事かと思う。


私の父も志願して少年兵となって戦場に行った、
九死に一生を得て命からがら大陸から引き上げてきた。
戦地での惨状を何度も何度も聞かされた、
いつも初めて聞いたような顔をして神妙に耳を傾ける。


慰霊祭で花を手向ける遺族の姿を見ながら父のことを思った、
もし、父が戦死していたら今の私はいない。
この世界に存在していないか、
全く別の人として生きているか、さだかではないが
父が生き抜いてくれたから、今の私が存在する。


そして父よりももっと先の先祖が
ずーっと命をつないでくれたから、父も私も存在する。
今生きている私は命のリレーの賜物。
ありがたく感謝して大切に生きなければ・・・


そして子どもたちや孫が命のリレーを引き継いでくれる。


私の父は現在81歳で79歳の母と共に
学園前で二人で暮らしている。
勤勉な性格で夜は7時半に就寝、午前3時半頃起床して
体操して、家庭菜園で畑作業をして、大阪の事務所に出勤。
いまだにベンチプレスで30キロのバーベルを上げる
スーパー爺さんである。
もと大工だったので家の修繕もお手の物、
急勾配の二階の屋根に上って雨漏りも直す。
介護なんて全く無用、そこそこの財もなし
あの戦争を生き残っただけでもラッキーと思うのだが、
「わしほど、不幸なものはおらん」と言うのが口癖。
その第一の嘆きが子どもが不出来だって!


大体、期待が高すぎるのである。
お互い生きてるだけでもありがたく、
幸せだと思うのだが、そう思えないとは勿体無いなー。