新病院設置問題

昨日「新病院設置等に関する特別委員会」が開催された。
昨晩そのことに関するブログを書き始めたが、
どう表現したものか行き詰ってしまって、途中で止めた。


今朝の新聞を見て、14人(実質的には16人)の議員が
(現在休止中の)病院事業推進委員会の再組織と、その
委員会での「正式」な結論を待った上で、
県への病院開設手続き進めるよう、連名で申し入れ書を
山下市長に提出した事が分かった。


それに対して山下市長は、
・本年度中に県の病院開設許可
 をもらうには、あらためて審議をやり直す時間はないこと。
・4回開催された病院事業推進委員会で
 実質的な審議は尽くされたこと。
・救急搬送先に苦慮する現状打開のためには、早期に
 計画を進める必要があるということ。


といった理由で今日2日、県に病院開設許可のための
事前協議書を提出する。


過半数の議員の抵抗を押し切っても
病院事業開設に向けての手続きを粛々を進めようとしている
山下市長を私は支持する。


私は4回開かれた病院事業推進委員会を全て傍聴した。
(3回目の時だけ、途中半分で所用により退席したが)
医師会委員が2回目の時辞任したり、
正副委員長が欠席されたり、医師会委員が全員欠席されたり
と驚くことが多かったが、こと審議内容については
中身の濃いものであった。
審議が夜の12時、2時までかかったり、
委員会が4時間以上にも及ぶ事もあった。


有識者は勿論のこと市民委員も見識高く熱心であった。


今更蒸し返してどうなるのかというような過去のいきさつ
を意見する医師会委員や、議事運営方法についてえんえんと
時間が費やされる一幕もあったが、
病院事業内容の審議についてはもう充分尽くされたし、
検討された。


医師会委員辞任という思わぬ事態で委員会は休止にはなったが
実質的には中身の審議は全て終了した。
中身が充実しておればその審議内容を反映させた事前協議書を
県に提出して何の不都合があるのだろうか・・・



特別委員会やブログでも山下市長は説明されたが、
多くの議員が望んでいる病院事業推進委員会の再組織となると、
大澤委員辞任劇の例から鑑みると最低で半月以上はかかる、
すでに練り上げられた審議結果が出ているのに、
遅ればせながらの推進委員会を再組織することが
そんなに大切なのか。


形式を重視されるとそういうことになるのかもしれないが、
形式にこだわるほどの時間があるのだろうかと思う。


4回の病院事業推進委員会で意外に思ったのは、
傍聴議員の少なさである。
これだけ熱心に推進委員会の運営方法や討議内容にこだわる
からにはもっと沢山の議員が傍聴にこられるかと思ったら、
常連は宮内、浜田、伊木、有村、
3回は下村、谷村、井上充(途中退席)
2回が角田、塩見、(両名共、リコール運動の為、前2回欠席)
あと回数は定かではないが井上清議員も見た。
ただ初回に顔だけ見せた議員も2名ほどいたようだ。
(漏れ落ちていた議員がいたらごめんなさい)


新病院設置に積極的な議員の顔ぶれがめだって、
慎重派や反対派の議員が少ない。


特別委員会で委員から、実際に事業推進委員会を
傍聴しなければ推進委員会の実態が把握しにくい
のではないか、というような意見がでた。
別の委員から、それでは議員は全ての委員会を
傍聴しなければ意見が言えないのか、という反論があった。


一般論としてはそうであろう、議員が多数ある委員会や審議会を
傍聴する事など不可能であるが、それでもと思う。
今一番の渦中にある生駒市政最大の問題が審議されている場に、
しかも4回も開催されているのに、一度も足を運ぶことなく
人からの伝聞情報に頼ってのみ判断するのは、どうなんだろうか。


これだけ病院事業推進委員会のあり方を問題視する慎重派の方々
であるなら、
一度実際の様子を見て欲しかったのにと残念な気がする。


宇治徳洲会病院の視察の時は私は別の行政視察と重なって行けなかった。
議員の半数が別の行政視察と重なっていたが、残りの議員からもう少し多く
参加できていたら(特に慎重派から)また違ったイメージを
もたれたのではないかと、こちらも残念。
(このとき参加したのは浜田議員だけ)
宇治徳洲会も開院当初は地元医師会との軋轢があって大変だったが
今では地域にとって無くてはならない病院になっている。


こういう成功事例が近くにあるのにもっと参考にできないものか。


山下市長はこの12月議会で徳洲会を指定管理者とする議案や
病院建設関連予算を提出されるが、
議会の多数派議員の動きを見ると「継続審議(先送り)」の
公算が強い。


どこまで引き伸ばすのだろう。


市長選挙で現れる民意の動向で賛否を決するのだろうか。