ブログの削除と親のこと

前々回のブログでは議員個人名を記載してしまったが、
今から思うとこれは適切ではなかった。


議員であればある程度、自身の言動について公表
されることは容認せざるおえない場合はあるが、
ブログで取上げた件については個人名まで明らかにする
必要ないものであろう。


これは私の配慮が欠けていたのである。


よって前々回のブログを消去するとともに、
当人に謝罪の意を伝えようと思う。
全くいつまでたっても至らないことである。


さて、私には80代半ばの両親がまだありがたいことに
健在である。
夫婦二人にしては大きすぎる家に住んでいる。


父親の方は元気で、体力は同年代の人とは比べ物に
ならないくらいの強さを維持している。
ただ、気がかりなのは話題がいつも同じことの繰り返しで
本人が気がついているかどうかも分からない。
いつもの話が始まっても、私は初めて聞くような顔をして
聞いている。
もう、その話は何度も聞いたとは絶対言わない、
ただ、こうして父親が話しかけてくれることがうれしいのだ。


また以前と比べると忘れっぽくなって、どうかすると今
聞いたことも忘れてまた聞き返したりする。
父は自分でも忘れっぽくなったと嘆いている。
耳も随分遠くなって、ゆっくり大きな声で話さないと伝わらない。


母親の方はここ1、2年のうちに随分歩行困難になってきた、
杖をつきながらやっと歩いている。
体も弱くなって、あちらこちらが痛むようで原因もよく分からない。


二人とも加齢と共に、それまで出来ていたことがだんだんでき
なくなっていくことを寂しそうに嘆く。
私もせつない気持ちになるし、親の老いの姿に自分の将来を
重ね合わせてみる。
自分も少し老いの入口に来ているので、けっこうリアルに親の
気持ちが伝わってくる。


これまではずーっと獲得していく人生だったのが、老いを境に
だんだん手放していく人生になって最後は命さえ手放す。
それでは人は完全消滅していくのかいえば、
私はそうとも思えない。


人間は神秘的で奥深いものだ。


あと、幾年こうやって両親と共に過ごすことが出来るであろう。
確実にやってくる別れの時を思えば、かけがえの無い時間だ。