パラリンピック

いつの間にか9月、日中の暑さは相変わらずだが朝夕は
秋の気配。本格的な秋の訪れが待ち遠しい。


さて今ロンドンではパラリンピックが開催されている。
ロンドンがパラリンピックの発祥の地なので当地では
かなり盛り上がっているようだ。


私も幾つかの競技を観戦したけれど、オリンピックと
はまた違う感動がある。
オリンピックでは勝敗をかなり意識して見ていたが、
パラリンピックでは勝敗よりも、力を出し切って競技を
終えたことに感動する。


日常生活でさえ不便であろうに、それを乗り越えて
アスリートとして世界の舞台で競技するのだ。
本当になんとスゴイ人たちであろうか、超人的。
厳しい条件のなかで精一杯努力されるその姿に、
心打たれる。


障がいを持って生きることの重さは、今は想像でしか
分からない。だけどこれから歳をとって体が不自由に
なってくると、実体験として分かるようになっていく
のかもしれない。


6月の朝日新聞に、私の尊敬する向野幾世先生の手記が
連載された。先生は障害児教育の草分け的存在で本も執筆
されている。お洒落で、茶目っ気があって、美しくて、声が
綺麗で素敵な女性。
先生とは10年以上前に環境活動が縁で知り合った。


その手記のなかでとても印象深いものがあったので、
切り抜いて大切にとってある。


「悲しいかな、人は失ったときに初めてその価値に気づきます。
何気なく動かしている手、当たり前のように歩く足、思いのまま
を言葉にする口。
自然のうちに生かされて呼吸をし、朝夕の陽を拝む。
四季の風に吹かれている。その全てがいずれ衰え
消えていくのが人の人生です。」


「障がい児達は、私達が失って初めて知る多くを持たないまま
生きているのです。そう思い、いつも感動と怖れにも似た敬意を
もって彼や彼女を受け止めてきました・・・」


そう、失ってから当たり前だった幸せの価値に気づくのでは、
悲しすぎる。
つい忘れがちになる当たり前の幸せだから、
あえて自分に言い聞かせるように、感謝をつぶやく。


そして「障がい」という厳しい条件を生きている人たちは
過酷な条件へのチャレンジャーなんだな。