母のこと

6月議会のさ中、私の母はあっという間に旅立ってしまった。
在宅介護を目前に控えての急逝に今でも信じられないくらいだ。

6月16日の朝、介護施設から連絡が入って母親を救急搬送するという。あわてて病院にかけつけて聞く母の症状は腸閉塞によりガスが腹部に充満していてショック状態だった。
腸閉塞はすぐに解除されて、症状が安定してきたかのように見えたので、しばらく入院してもまた退院して在宅に向けての準備が
出来るものと皆、思い込んでいた。
ところが数時間後、血圧が低下して一旦持ち直したものの、その後低下が止まらず、血液の循環が停止して多臓器不全で死亡した。救急搬送10時間後のことだった。

一時期苦しそうな時もあったが、大体において穏やかに迎えられた死であった。身近な親族に見守られての旅立ちであった。

あともう少しで、私の家で一緒に暮らす予定だったのに悔しくて
悲しくてならない。
介護ベッドも車椅子も便器も介護に必要なものを予約し、在宅介護に必要な口腔ケアや献立、移動介助など介護施設から教えてもらって着々と準備を進めてきたのに・・・
ヘルパーの資格までとって備えてきたのに・・・
母も私と暮らすことを楽しみにしていたのに叶わなかった。

在宅介護に意欲的だっただけに母が無くなった今、虚ろで悲しみ
だけが胸に詰まっている。
一緒に暮らしたら、食事を工夫し、好きな芝居のビデオを見てもらい車椅子で外出して、少しは楽しい気持ちになってもらおうと
思っていたのに、もう何も出来なくなってしまった。

遺品を整理していると色々なことが思い出されて涙が溢れる。
「孝行したいときには親は無し」と言う言葉があるが、胸にしみて分かる。せめて数ヶ月でも一緒に暮らして介護ができたら、もう少し気が済んだかもしれないのに。

世話になった介護施設に母の荷物を取り、挨拶に行ったら
母と同じユニットにいるご婦人が私の手を固く握り締めて
「お母さんは苦しみから解放されて楽になったと思いなさい。」
と涙ながらに言われた。

母は寝たきりの状態から、リハビリ訓練のお陰で随分体がしっかりしてきたが、それでも腸の機能低下のため痛みに悩まされることがしばしばだった。そして社交的な母がしゃべれず、字も読めず書けないということが精神的にもかなり辛かったと思う。

苦しみから解放されたと思えば、幾分か気持ちが癒される。

母が過ごす予定だった部屋はまだベッドも搬入されていなかったので、ガランとしたままだ。
空想でベッドを置きそこに母がいて、私は事務をしながら母の様子を見て安心する、声をかけ介助が必要かどうか確かめる、時間がくれば口腔ケアや簡単なリハビリをする・・・もう、そんなことは二度とありはしないのだ。

母を亡くすということは、誰もが経験しなければならないことであるが本当に淋しいものである。いつになったら涙から解放されるのだろう。