母のこと

母が亡くなって数えてみれば3週間が経った。
もう、3週間も経ったのだ・・
随分落ち着いてはきたけれど、それでも毎日涙が出る。

特に最期の日が、鮮明に昨日の事のように思い出されてならない。
レントゲンで見た母の腹部の様子は驚くくらいガスが充満していて、胃はペシャンコになっていた。どんなにか苦しかっただろうか、喋れないので苦しさが伝わりにくかったのだろうか、
そんなことを思うと可哀相でならない。

病院の対応で腹部のガスは抜けて一安心したのもつかの間、血圧が下がり始めてもうどうしようもなくなってきた。
血圧が下がっていく時の恐怖感、「しっかりして、逝かないで」と泣いてすがって一旦は持ち直したが再び下がっていって、もう覚悟を決めるしかないと悟ってからは、ただひたすら母に「ありがとう、ありがとう」と何度も繰り返した「あなたの娘でよかった」とも。
最後に「ありがとう」を山ほど言えたことが、せめてもの慰め。

母も何か言いたかったのかもしれないが、言葉は出ないし酸素マスクだったので一言の声をあげることもなく無言のままに逝ってしまった。

死に顔は穏やかで、看護師さんに綺麗にお化粧をしてもらい、まるで眠っているようだった。

あくる日からのお通夜、お葬式は家族だけの12名参列で淋しいものだった。母は生前普通の葬儀を望んでいたが、父の強い意向で
家族葬になった。
そんなささやかな葬儀に山下市長が駆けつけて下さって、驚くとともに恐縮した。不機嫌だった父が大そう喜んで機嫌を取り直し、私も悲しみで打ちひしがれ朝からヘナヘナだったのに、市長の出現で急にシャキッとして姿勢を正すことができた。
多忙な中しかも結構遠方なのに、来てくださって申し訳なさと有り難さで一杯です。


葬儀後は学園前の両親の自宅に弔問客が時々訪れて下さったが、それもしばらくすると、父の強い意思でお断りすることとなった。淋しいと言いながら好意的な人を拒絶する父の気持ちが分らない、だんだん気難しくなっていくのだろうな。


明日7月6日は丁度1年前、母が脳内出血で倒れた日。
救急車の中で早く搬送先の病院が見つからないかと祈るような気持ちで、母に付き添っていたことが思い出される。
それから一年、寝たきりの状態から、つかまってではあるが数分間立つことも出来るようになっていたのに・・・
母の状態が改善すると嬉し泣きをし、症状が悪化したときには動揺して泣く、本当にこの一年は泣いてばかりだった。
こんなにも私は涙もろい人だったのかと、自分でもあきれるくらい、そして今も泣いている。

母親の存在というものは本当に大きなものだ、なんだか亡くなった気がしなくて今も実家で父と暮らしているような錯覚をしてしまう。
でも、もうこの世界のどこにもいない。ああしてあげれば良かった、こうしてあげれば良かったと悔いが残る。
「親が亡くなって後悔しない人は誰もいないよ」
と知人に言われた、そうなのか皆そう思う、そういうものなんだ。

日にちが経っても、いつまでも悲しみは途切れない。