戦没者追悼式

母が亡くなって一ヶ月が過ぎた、もう一ヶ月・・・
月日の経つのは早いものだ。

段々気持ちの整理はついてきたが、それでも夕暮れ時になると
いろいろなことが思い出されて涙が出る。
夕方は母と一時を過ごすことが日課だったから、二人で過ごしたことがありありと蘇ってくるのだ。
「もうすぐ、私の家で一緒に暮らせるからリハビリ、頑張ろうね。
我が家に来たら、車椅子でもショッピングやお出かけは出来るから、うんとお洒落して行こうよ。
好きなお芝居や歌劇もテレビで見れるよ。
私がお世話するから安心して任せて頂戴。」なんて、なんとか母の気持ちを引き立てようと一方的に喋り続けていた私。
何一つ実現することなく、夢で終わってしまった。

せっかく学んだ介護技術も母には生かせず、だんだん忘れつつある。

まだ実家には高齢の父がいる、頑丈な人で介護は当分無用。

今日は戦没者追悼式があった、大戦で亡くなった方の遺族の方も高齢化が進み段々参加が少なくなっていくような気がした。
今回はいつになく父のことが思い巡った。父は徴兵されたのではなく、自ら志願して少年兵として軍隊に入った。石川県でたった3名だけが合格して陸軍通信学校に合格し通信兵として配属された。そして満州に渡り命からがら帰国することができた。

第2次世界大戦軍人としては父が一番と言っていいほど若いのではないだろうか、その父が87歳だから当時軍人だった人はほとんど90歳以上ではないだろうか。父も周りはみな年長者ばかりだと言っていた。とても丈夫な父だから、この先うんと長生きして世界大戦最後の生き残り軍人になるかもしれない。

父の世話に週5日帰っているが、毎回戦争の話を聞かされる。
よほど強烈な印象が残っているのだろう、毎回同じ話。
日によっては同じ話が2度繰り返される。
自分で何度も同じ話をしていることが分っているのだろうか・・
機嫌を損ねてもいけないので、一応拝聴はしているが。

自分勝手で思い込みが強く、なんともやりにくいところもある父だが、あの悲惨な戦火をくぐりぬけて生き抜いてくれたお陰で
この私がいるのだ、と思えば、いつもの戦争の話も味わい深い。

そういえば母が亡くなった日も戦争の話を2回も繰り返していたそうだ。

いろいろな亡くなり方はあるが、戦争で命を失うのが一番悲しい、ご遺族の心痛を思う。そして奇跡的に父は帰還できて、今
私がここに存在していることに少なからず感動する。